定位脳手術の決断〜手術まで
2018年10月上旬
演奏不可能に
先述した通り、あるブライダル演奏の時、急に自分の演奏が決定的にできなくなりました。
小指に加えて薬指が曲がったまま硬直し、簡単なコードさえ弾くことが難しくなりました。
どうにもならなかったので、なんとかその日は乗り切り、
その日以降頂いていたライブ演奏のご依頼も本当に申し訳ない思いでしたが、
キャンセルさせて頂き、手術の準備へ。
2018年10月中旬
手術への第一歩
まず、世界でただ1人定位脳手術を行うことができる
平孝臣先生の診察を受けるには、他の病院からの紹介状が必要でした。
近所の脳神経外科に診察に行き、東京女子医大の平孝臣先生への紹介状を書いてもらいました。
フォーカルジストニアは本当に認知度の低い病気なので、
自分で病気と手術の大体の内容がわかる資料をコピーして持っていき、自分で出来る範囲で説明して、
診察はいいので今すぐ紹介状が欲しいということを伝えました。
不躾で強引な手段だったと思いますが、急いでいたのと、
東京へ行って手術するという気持ちは変わらないのに、近所の病院で何回か診察してからと言われたくなかったので… 申し訳なかったです。
そして紹介状を手に入れ、すぐ東京女子医大に予約の電話を入れました。
2018年10月15日前後のことでしたが、やはりかなりの人数の患者さんがいらっしゃるので、
初診は年を跨いで1月9日ということになりました。
2019年1月9日
東京女子医大初診
名古屋から東京へ。
予約は15時からだったのですが、かなり早めに行って受付を済ませ、11時半頃にはただ待っている状態になりました。
かなり時間があるなと思ったのですが、予約より大分早めに診察の順番が回ってきました。
一応ギターを持って行ったのですが、結局ギターは全く使わず、
右腕をギターのネックに見立てて、
左手で右腕を掴む形でギターの弾き真似をして、
その状態で症状が現れた為、
間違いなくフォーカルジストニアだと診断され、手術の話に。
東京女子医大で手術を行うとなると、
6月まで待たなければならないとのこと。
早く受けたいなら埼玉の三愛病院でも定位脳手術ができるので、
そちらだと3月には手術できますと言われ、
迷いなく三愛病院で施術を受けることに。
三愛病院の機材などは東京女子医大と変わらないのですかと聞いたところ、全く問題ないとのことでした。
三愛病院の方でも一度診察をしないと手術を受けることができない為、
次の週の1月15日に三愛病院で平先生の診察を予約。
2019年1月15日
三愛病院初診
もう手術をすることは決まっていたので、
平先生の診察はすぐに終わりました。
看護師さんが手術の予約、概要の説明を対面で丁寧にしてくださり、身長と体重をはかって手術に必要な書類を頂いて終了。
入院は3月18日からということになりました。
診察後東京へ戻り、恵比寿から代官山まで散歩をしたり買い物をしたりしましたが、
やはり
手術入院のことや症状のことで頭がいっぱいでゆったりとは楽しめませんでした。
手術入院まで
帰ってから必要書類の記入、押印をさっさと済ませ、
市役所へ行って限度額認定証の手続きをしました。
限度額認定証とは、高額の治療費を支払うことになった場合、健康保険が負担してくれるを差し引いた自腹の代金を病院の窓口で支払うために必要な書類です。
限度額認定証がないと、
病院の窓口で健康保険が効いていない相当高額な料金を請求されてしまうので、絶対に必要なものです。
手続きは簡単で、市役所の健康保険のブースに行き、限度額認定証が欲しいといえばすぐに対応して作ってくれます。
その書類を入院の日に病院窓口で渡すだけでOKです。
会社員の方等、法人の健康保険に加入しておられる方々は、全国健康保険協会(協会けんぽ)という所で手続きをしなければいけないので、市役所ではなくその地域の協会けんぽ事務所で手続きをすることになると思います。
後は任意の医療保険に加入していたので、そちらの会社に電話し、保険金請求書の送付をお願いしました。
これは退院後でもよかったのですが、何事も早い方がいいだろうと思い、事前に用意しておいたという感じです。
手術が決まってからも、指は相変わらずの悪い調子で演奏活動は断念せざるを得ませんでしたが、
ギター講師としてのレッスンのお仕事は、生徒さん方と所属している幾つかのスクール側のご理解もあり、続けることができました。
この状態でレッスンをすることは、指がいうことを聞かず満足なプレイができない分、
言葉の表現力の向上や、
テキストの作り方の工夫、
ギター演奏の動作に関する身体構造の理解、
そして音楽についてのさらなる理解と、
それを噛み砕いて専門用語を排除して教えることができる柔軟さが必要でした。
フォーカルジストニアになりたくはなかったですが、期せずして講師というお仕事について、
かなり勉強になった期間ではありました。
ただし、
この病気の症状は、脳に関する複雑な病気であり、
本当に発症したことのある人以外わからない感覚なので仕方のないことではあるのですが、
他人の軽い気持ちで言われた一言にひどく傷ついたり、
悪気はなく気にかけてもらってのことだとはわかっているのだけれど的外れなことを言われ、落ち込んだりすることの多い期間でした。
本当に孤独との戦いという感じでした。
ただそんな中、
犬山の音楽教室D.M.SOUNDの代表で、プロシンガーで作曲家、ボイストレーナーのKISSINさん(お仕事を頂いたりとてもお世話になっています)という方から頂いた
1通のLINEでとても精神的に救われました。
KISSINさんも痙攣性発声障害という喉のジストニアを発症しておられ、手術とは別のアプローチでほぼ克服しておられます。
「自分も同じ様に症状がドン底だった時代、
色んなことを学んで、
症状不調にもかかわらず仕事が多くなっていったことがありました。
今のまま全てに誠実に向き合っていけば、
必ず演奏者としても講師としての仕事にも活きてきます。
少なくとも講師としての面では、古田君のレッスンの評判はとてもいい。
自分の培ってきた経験と耳に自信を持ってください。」
抽出するとその様な内容でした。
自分に対して言われた一言に感動して泣いたという経験は、その時が人生ではじめてでした。
本当にありがたかったです。
自分もジストニアのことに限らず、
自分が感じた痛みや苦しいことをちゃんと覚えておいて、この先辛い思いをしている人に出会った時、
少しでも寄り添える様な大人になろうと思いました。
手術までの音楽の勉強、練習
指が動かないからといって、
自分のための音楽の勉強や練習も立ち止まるわけにはいかないので、
・ジャズコンピングのリズムコピー、(ウィントンケリーを中心にやっていました)
・音と音のインターバルの勉強、
・不協和音から協和音への移行を耳になじませる練習、
・ジャズスタンダードを人差し指と中指だけでアドリブを取る練習、
(手グセに頼ることができないので、しっかり音が
ギターの指板上で見えているかが試される練習でした)
・ボトルネック奏法の練習など、
その時の指の状態でできることを、師事しているギタリスト伊藤寛哲さんと相談しながら行っていきました。
伊藤さんもよく事情を聞いてくださって、ヒントになるアイディアをたくさん出して頂き、とてもありがたかったです。
手術が終わり、リハビリが終わって全快した先にもっと実力をつけたギタリストになっている自分がいることを信じてひたすらやるしかありませんでした。
次回はいよいよ手術へ。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
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